どうも、太陽です。(No71)
突然ですが、「人間関係の構築方法 正しさや知識追求ではなく、人間関係構築に重きを置く人がいる」というタイトルですが、これは自身の経験と反省により、生まれたモノです。
リアルでの人間関係というよりも「Gravityという音声通話アプリで起きたこと」をテーマにしています。
このテーマについて、興味がある人は続きをお読みください。
1 人には2種類のタイプがいる。
いきなりですが、僕は人には大雑把に分けて「2種類のタイプがいる」と考えています。
・ | 話の内容(コンテンツ。正しさや知識追求など)に重きを置くタイプ。 |
・ | 話の内容よりも、人間関係構築(気遣い・人情など)に重きを置くタイプ。 |
科学者は職業柄、論文を読みまくり、研究にどっぷり漬かっています。
そして、客観性を重視していて、主観が弱まっているので、どちらかといえば話の内容に重きを置くタイプだと思います。
科学者じゃなくても科学者気質の人も当てはまります。
対して、話の内容(正しさや知識・真理追求など)よりも、人間関係構築(義理人情、気遣い)に重きを置くタイプもいます。
この人たちは、話の内容タイプよりも、挨拶や感謝の言葉(ありがとうなど)を重要視しています。
例えば、ブログや本などのコンテンツを読む際、信ぴょう性などよりも、その著者の人間性などを重要視します。
科学者気質の僕は、嫌いな人間や価値観が異なる人間でも、話が役立つか面白そうなら、「コンテンツを読もう」という気になります。
ですが、人間関係構築重視派は著者に関心が持てなければ「コンテンツを読もう」という気になりません。
まさに人間第一、ファンサービスに価値を置くタイプが人間関係構築重視派です。
人間関係構築重視派は、挨拶でフィルタリングをかけることもあります。
「初対面なら挨拶必須、または仲良くならないとタメ口禁止」と掲げることで、人間構築軽視派を弾いているのです。
人との交流に喜びを感じています。
対して、話の内容重視派は「挨拶は別に必須ではない」と思っています。
また、「求められたら形式上する」という主義でしょう。
そして、そういう形式上で挨拶をやっていると本音をばらすと、人間関係構築重視派は「心がこもっていない」と怒るのです。
感謝についても同じです。
僕は例えば、アドバイスをもらったとき、的を射ていて参考になるアドバイスなら、感動しますし、素直に感謝できます。
しかし、的外れのアドバイスや合わないアドバイスを言われたら、僕は特に感謝の気持ちは湧きません。
もちろん、アドバイスしようとしてくれる心意気はありがたいです。
そして、そのアドバイスに対して「でも、~」と反論すると、人間関係構築重視派は「でもじゃない。できない言い訳を言うな」と返してきます。
僕からしたら、自分に合わず、実行できない意見を言われたので、できない理由を説明し、その意見を相手が拾い上げて、「さらに違う提案を言ってくれるかも」と期待していました。
ですが、相手の意見は「言い訳するな」でした。
その人はモラハラ気質があります。
理由として、「他の人ともバチバチに揉めている」「自分は戦闘民族だ」「自分は折れないし、他の人から見たら喧嘩しているみたいと言われた」と言っており、「そのことに関してまったく恥じていない」ことから察しました。
さらに、その人は感謝を大事にしている価値観です。
で、それを自分自身に適用するのはまったくかまわないのですが、相手にも感謝(ありがとう)を強要してくるのです。
そもそも、感謝(ありがとう)は自発的にやることであり、強要されるものじゃないです。
また、僕だったら、嬉しくもないのに「表面上、感謝されてもなぁ」という感じです。
しかし、優秀な接客業や営業マンは、空気のように、思ってもない感謝(ありがとう)などを言う習慣ができていると感じます。
そして、そういう人のほうが器用であり、敵も作らず、無駄な衝突を防げます。
僕の場合、役立つアドバイスには素直に感謝でき、役立たないアドバイスには「でも」と反論してしまいます。
ですが、そういう癖は排除して、とりあえず、「なるほど」や「そういう意見もあるのですね」と言うのが処世術として大事というわけです。
これも挨拶と同じです。
形式上で役立たないアドバイスに対しても「感謝の言葉をとりあえず表している」と言うと、人間関係構築派からは怒られます。
人間関係構築派は「本心じゃない、思ってもないこと(感謝や挨拶など)」を言われても、形ができあがっていればそれで満足なのです。
こういう根本的な思想・価値観の違いが、話の内容重視派と、人間関係構築重視派は存在します。
で、どちらかが妥協して折れなければ揉めます。
それにしても、相手の反応が微妙だったら「的はずれなアドバイスをしたかな?」と僕なら省みますけどね。
表面上、「ありがとうございます」や「なるほど」と返されたら、「そんなに参考にならなかったのだな」と感じます。
そんな形式的な反応をされるより、「でも~」と言われて反論されたほうが、「そういう理由で実行できないのか?」と理解が深まると思うのだけども。
そして、仮に僕が的確なアドバイスをしても、相手が「でも」と言い訳してきたら、「そういう風に感じているのですね」と返して、深入りしません。
相手には相手の事情がありますし、見えている世界が全てではありませんので。
「相手になんかしらの気づき・ヒントが与えられれば良し」と考えています。
また、社長や社長気質の人は人から指図や命令をされることは好きではありません。
「人から指図や命令をされたくないから、社長になった」という人もいます。
そういう社長に対してはコンサルタントは慎重に丁寧にアドバイスします。
ましてや、相手に感謝を強要したり、「言い訳するな」など言語道断です。
「言い訳するな」と言えるということは相手を格下に見ているから言えることであり、例えば「上司・部下の関係」です。
社長に対して、仮に社長ができない理由を反論してきたら「言い訳するな」「感謝しろ」と言えるでしょうか?
僕がなんか嫌な違和感を感じた理由はまさにここにあります。
さらに、モラハラ気質の人の特徴として、以下があります。
自身は大量に文章を書けないのにも関わらず、なぜか得意満々にアドバイスしてきて、しかも感謝を強要してくるのです。
プロのライターに以前にアドバイスされたことがあります。
その人は「ライティングの大変さ」を身にしみて感じており、僕の記事に対して「コンテンツは非常に良いが、見せ方(構成)がイマイチ」とやんわりと指摘してくれました。
その当時と比べたら、僕の記事の質は向上しましたが、それでもまだ見せ方に改善点がかなり残っています。
そして、プロのライターほど、苦労を心底分かっています。
ですから、苦労の跡が見える人に対しては努力を認め、やんわりと指摘するのです。
しかし、モラハラ気質の人は、モラハラ体質も関係していますが、さらにライティングの苦労を理解しておらず、だからこそ9割ぐらいの勢いで、過ちを指摘してきます。
1つマイナスなことを言ったら、5つはプラスのことを言わないと、人は非常にストレスを感じるそうです。
それなのに、平気で9割もマイナスなことを指摘してくるのですから、モラハラ気質なのです。
(つまり、説教です)
野球でも、プロでの野球経験がないのに、やたらプロのプレーを偉そうに批評している人をよく見かけます。
逆に、プロの解説者は番組上という立場がありつつも、選手のミスなどに関してもまだ優しいです。
(それはプロの世界のプレーの難しさを心底、理解しているからです)
やったことがない、経験したことがない人ほど、やたらアドバイスしたり、批評する現象は謎です。
しかし、僕はモラハラ気質の人に対して、「あなたは大量に文章を書けるのですか?成功者なのですか?」とは一切言いませんでした。
その理由は「素人の意見でも参考になる箇所がある」と信じているからです。
実際にその人の指摘にも役立つ部分がありました。
しかし、コンテンツへの指摘より、「態度(ありがとうを言わない、「でも」と言い訳すること)を改めよ!」と言われており、「この人は人間関係構築重視派だ」と察しました。
正直、文章の改善点など気づきは多かったですし、感謝もあります。
ですが、モラハラ気質の相手の言動に対し、かなり嫌な気持ちになったので、差し引きゼロです。
また、僕は自分がやったことがない分野に関しては「そこまで詳しくないけど、参考になるのであればアドバイスします!」程度の感覚です。
加えて、僕のブログにモラハラ気質の人がそこまで関心を持たなかった理由は、「僕が自信満々じゃなかったからだ」と言います。
例えば、歌手が歌を聞かせるときに「自分の歌なんてまだまだなので」と謙遜していたら、「その人の歌を聴こうとなるか?」ということです。
ですが、僕は自分のブログや記事に対して、完全に自信を持っているわけではなかったので(「もっとアクセスはあるはずだ」とは思っていましたが)、そんなに自信満々に「読んでくれ」と言えませんでした。
アプール不足でしょう。
ですが、僕の今までの経験上、自信満々の人ほど、実力が追いついてない、しょぼいコンテンツの人が多かったのです。
「できます!」と意気揚々と言う人ほど、あとになって「できませんでした」というケースが多いです。
なぜ、そんな自信の有無によって、ブログを読む価値があるかどうか判断しているのか?謎です。
その人は「自信満々で頭がいかれてそうな人の記事なら興味をもって読みたい」と言っていたので、感覚が変なのでしょう。
つまり、成功者でもなく、ライティング経験が豊富でもない人に意見を聞いたのがまずかったのです。
というより、話の流れで相手がアドバイスしてきたのですね。
で、僕が「ブログの話は別にいい!」というと、「それは逃げだ!」と言いました。
ですから、やはりモラハラ気質です。
(社長に「逃げだ!」といえますか?って話です。格下相手の部下に言うセリフです)
また、安達氏のツイートを貼ります。
Yes、but法は、同意してから、反論するパターンです。
「なるほど」という感じで、ワンクッション置いてから、反論すると相手も聞き入れやすくなる効果があります。
おそらく、人間関係構築重視派は普通の人なので、こういうパターンが通用します。
形式で満足するからです。
しかし、IQが高い人や、感情に左右されない実務家、若手の優秀な起業家相手だと、いくら形上の同意をしようが、話の内容・中身重視派なので、テクニックは通用しません。
まさに、話の中身が問われるわけです。
今回の話は、話の内容重視派と、人間関係構築重視派のテーマでしたが、モラハラ気質の人の話も混ぜたエッセイ風な内容となっています。
最後に、話の内容重視派と人間関係構築重視派のテーマへの理解が深まる記事を貼っておきます。
https://toyokeizai.net/articles/-/676454
正しさより「優しさを選ぶ人」人生のゴールが違う
がんの悩みを乗り越えた人が手にする生き方
https://www.lifehacker.jp/article/2006_book_to_read_weekend_10/
コトより人間関係を重視しすぎてしまう…日本的「思考停止」を避けるために必要なスキルは?
https://fujinkoron.jp/articles/-/8679
脳科学者・中野信子 なぜ京都人は「本音」を隠して「人間関係」を重視できるのか?本音で傷つけ合うのが最善のコミュニケーションとは限らない
https://news.yahoo.co.jp/articles/199803bf6f4b99470cb596e1915b413a1f947406
女性のユーモアは男性よりも大きな効果をもたらす
https://yuchrszk.blogspot.com/2023/06/4.html
家族療法の専門家「仲が悪い家族って4つのコミュニケーションスタイルを取ってるよねー」
ではこの辺で。(4747文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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