どうも、太陽です。(No36)
突然ですが、「コミュニケーションコストって何?」と思った人はいるでしょう。「コミュニケーションって労力がかかる」という意味です。
その労力が高いと、意思疎通で時間や手間がかかりすぎ、「国や企業の組織運営において効率が悪くなる」という話です。
今回、このテーマについて話していきますが、理想のコミュニケーションのあり方についても言及しました。
「コミュニケーションコスト」で悩んでいる企業などでは役立つ知識でしょう。興味ある方は続きをお読みください。
1 世の中においてコミュニケーションは必須である。
突然ですが、まず、世の中においてコミュニケーションというのは必須です。
日本国や日本企業であれば、基本的に日本語・国語でコミュニケーションします。企業であれば報連相はしますし、会議でも議論において、意思疎通(情報の共有や新しいアイデア発想の目的などに)します。
コミュニケーションは、たとえIT化やAI化がかなり進んでも、そう簡単になくなりません。もちろん、IT化によって情報の共有はしやすくなりました。皆が、一斉に見れる掲示板やサイトなどを作れるからです。
しかも、現在進行系で更新・変更可能です。(紙の時代では、書籍や書類が共有手段でした) 企業のサポートもFAQ(よくある質問)などに誘導し、まずこちらを見てもらい、それでも分からない場合に限って、電話サポートをすることでコミュニケーションコストを下げています。
これらの情報を頭に入れた上で次に進みます。
2 そもそもコミュニケーションとはお互いに理解し合えるかが重要事項である。
では、このコミュニケーションの根本は日本語であり、国語なわけですが、この「日本語・国語教育」が良くなかったせいで、「日本や日本企業」においてコミュニケーションコストが高くついているのでは?、というのが僕の見立てです。
そもそも、コミュニケーションとは、いかにお互いが意思疎通して分かり合えるか、理解し合えるかは重要事項です。
その際、次の4象限のパターンがあります。
1 | 話し手・書き手が分かりやすく話し、書く(表現力高い)&相手の分かりにくい表現も理解・読解できる。(理解力・読解力高い) |
2 | 話し手・書き手が分かりやすく話し、書く(表現力高い)&相手の分かりにくい表現を理解・読解できない。(理解力・読解力低い) |
3 | 話し手・書き手がわかりにくく話し、書く(表現力低い)&相手の分かりにくい表現も理解・読解できる。(理解力・読解力高い) |
4 | 話し手・書き手が分かりにくく話し、書く(表現力低い)&相手の分かりにくい表現も理解・読解できない。(理解力・読解力低い) |
つまり、「表現力高い・低い」と「理解力・読解力高い・低い」の4象限です。
このうち、3の「表現力低い、理解力・読解力高い」層をたくさん生み出してきたのが現代文教育なのです。
現代文は読解に比重が置かれ、しかも分かりにくい文章で書かれています。しかし、この世に分かりにくく話し、書く人がいる以上、この読解力は必要でもあります。(だから現代文を全面的に批判するわけじゃないです)
ですが、問題は現代文ばかりで高評価してきたことです。現代文のわかりにくい文体や文章に慣れすぎたため、表現でもわかりにくい文章を書く人を量産したのです。3の「表現力低い&理解力・読解力高い」人ですね。
小論文もやらせればよかったのです。小論文において、分かりにくい文章を読ませて要約させれば、要約力が見られる上に、理解力・読解力も把握可能です。その上で表現部分で、わかりやすい文章を書けているか(しかも内容も重視して)を見るべきなのです。
しかし、小論文においてでさえ、分かりづらい表現を評価する採点者がいたとしたら、小論文の良さをまったく理解してないことになります。
1の「表現力高い&理解力・読解力高い」は完璧な人です。こういう人とコミュニケーションするのは楽です。
2の「表現力高い&理解力・読解力低い」人は、一部限定でいるかもしれません。本を普段読まないので、文章読解力は低いけど、会話上手(営業マンなど)な人たちのことです。
4の「表現力低い&理解力・読解力低い」人は、コミュニケーションにおいて、お荷物的な存在です。意思疎通で苦労します。
3 政治家と経営の世界。
ここで、政治家と経営の世界の話をします。話が飛びますがついてきてください。
まず昨今?の政治家は「何を言っているのか?」という内容の正しさより、「どう言っているか?この人の発言は信用できるか?」のイメージの方が、重要視されている気がします。なぜかというと、多くの国民は政策の詳しい中身について前提知識もないし、理解してないからです。
その上で政治家は、わかりやすい話をしてないと僕は思います。表現力が欠けているか、または国民の理解力不足か、でしょう。
ただでさえ政治の話は分かりにくいのに、分かりにくい話し方をされたら、国民は誤読するか、正確に理解してないことになり、だからこそイメージでなんとなく選んでいる可能性があります。
しかし、この政治家の分かりにくさは、良い方面にも働きます。具体例を挙げると、追及されたときです。追及された際はわざと話を長くし、分かりにくくすれば、相手は理解できないので指摘しづらくなります。
しかし、これは政治家だから許されることであり(本来なら許されませんが)、経営の世界においては、分かりにくさは致命的な弱点になります。
相手に高速で理解してもらわないと、意思疎通・意思決定のコストが跳ね上がるからです。分かりにくい話をする人は、無能の烙印を押されます。
よく上司に対してこう思っている人はいませんか? 「あなたの言っていることは分かりにくく、話が長い」と思っているけど、上司だし、目上だし指摘しづらいと。
分かりにくく、話が長いと理解するだけで一苦労です。しかも、それを上司に指摘できないですし、「自分の理解力が足りないのか。。。」と自省することもあれば、「お前の理解力不足だ!」と怒鳴られる可能性すらあります。
しかし、理解力が高い人は、察する力も高いのでなんとか対処できますが、理解力が低い人は対処できず、苦労します。(理解力が低い人はわかりやすくて、話が短くないと理解できないのです)
こう考えると、政治の世界で「表現力が低くても許されてきた」こと自体が間違っていると思えます。(経営の世界では許されません) もちろん、政治の世界は、全部を話すことは無理であり(駆け引きなどで)、曖昧な表現にしたり、お茶を濁すことも分かりにくさを助長していると思いますが。
4 理想のコミュニケーションの世界。
最後に、理想のコミュニケーションの世界を考えてみましょう。
世の中には大雑把に分けて、視覚派(目から情報を吸収するのが効率が良い人達)と聴覚派(耳から情報を吸収するのが効率が良い人達)の2種類がいるとします。
視覚派には、文書やネットでの掲示板?で情報を共有します。聴覚派には、プレゼンの達人みたいな人が音声を録音して皆に共有します。
これで2種類のタイプに、情報を効率よく共有させることができます。
そして、前提知識として、何かの企画や意思決定や合意を得るためには、情報を共有しておく必要があるのですが、その情報を共有するのにも最低限の予備知識が必要になります。その予備知識も、視覚派と聴覚派用に文書や本や、音声などで渡します。
これで予備知識を学んで、情報を共有する下地ができました。(皆がさぼらなければ、または理解力があればです)
そして情報を共有し、合意しやすくなり、意思決定のスピードが上がり、従業員も社長も納得して仕事ができ、効率が良くなります。
ですが、ここでさぼる人や理解力が低い人が混じっており、そういう人にはある程度の精度の高い主張の信憑性が分からない、理解できないのです。
そうなると、反対派や抵抗勢力になります。または、自分の権益や利益や生存が脅かされそう(職を失うや給料が下がるなど)になると、抵抗し始めます。
こういう層に対しては、トップに権限をある程度、渡して反対意見をスルーし、強引に通す必要もあるのです。そんな抵抗勢力の言い分まで聞いてたら、改革なんて一向に進みません。
というわけで、トップを中心に、視覚派と聴覚派(またはその中間も)に合わせて情報を共有し、合意をしやすくした上で、明らかな抵抗勢力はスルーして、改革を推し進め、効率の良い組織運営をして、鍛えて生存しなければならないというわけです。
これが僕の考える理想のコミュニケーションです。
TV放送は、聴覚派にはうってつけの媒体ですが、視覚派には効率が悪いのです。(ただしテロップもあり、視覚派も理解しやすくはなっています) 視覚派と聴覚派とその中間派などの割合を、僕は知りません。
これらの認知特性によって、コミュニケーションの不通ができているとも言えます。聴覚派は、僕の文章なんてまず読みませんから。
ある程度は的を射ていることを言っていても、聴覚派は文章を読むのが得意ではないので読みません。よって、聴覚派まで伝えたければ、YouTubeなどで同時に伝えないといけません。
僕の思想を知ってもらうには、本当は音声放送もやるべきですが、僕はあまり喋るのが得意ではないので乗り気じゃないのと、時間が存分に割けないのもあって現在はやっていません。
世の中を変えるにはきちんと理解してもらうことが始まりですが、たとえ理解してもらえても、自分の権益を脅かす人には抵抗する人たちが多いのです。だからこそ、世の中はなかなか変わらないのですね。
ではこの辺で。(4105文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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