どうも、太陽です。(No11)
2018年5月23日17時に書いた記事です。
少し古い記事ですが、公開します。
日大アメフトの件など、ほとんどの人がもう忘れていることでしょう。
この話題について、今さらながらですが書きます。
同時に「コミュニケーション力を上げる方法、文字通りに受け取るな!」のPART2編としての扱いでもあります。
「当時、どう思ったのか?」の記録です。
興味がある人は、続きをお読みください。
1 日大アメフト部の解釈がわかれる文章の事例。
まず以下の文章をお読み下さい。
以下の文章を書いた人は、心理学の素養がない人です。
「日大には危機管理学部がある。
さすが広報部の立派な危機管理なこと」
「日大広報部コメント「QBつぶせ」は事実も。。。誤解「思い切って当たれ」の意味。監督の指示否定。というタイトル記事の引用付き。(消されたようです)
さて、読者の方はこの文章をどのように解釈しましたか?考えて下さい。
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僕の一文「以下の文章を書いた人は心理学の素養がない人です」を理解した人は、「この人は日大の弁明会見を素晴らしい」と思っている愚か者なのかな?と思った人もいるのではないでしょうか?
では逆に、「以下の文章を書いた人は心理学を、かなり勉強している人です」を追加して、また読み直してみてください。
「以下の文章を書いた人は心理学を、かなり勉強している人です」
「日大には危機管理学部がある。
さすが広報部の立派な危機管理なこと。」
「日大広報部コメント「QBつぶせ」は事実も。。。誤解「思い切って当たれ」の意味。監督の指示否定。というタイトル記事の引用付き。(消されたようです)
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今度はこの人は、日大の弁明を皮肉っていると感じたのではないでしょうか?
正直、この人の文章は文字通りに受け止めれば、日大の弁明を素晴らしいと絶賛していると捉えられます。
現代文の試験ならそう捉えられますし、アスペルガーの人もそう捉えるでしょう。
ですが、人間は皮肉というものを理解できる生き物であり、この文章を文字通りに解釈しないのであれば、これは皮肉を言っている可能性があるとも捉えられるのです。
解釈とはこのように、人によっていくらでも変わります。
人の文章をどう捉えるか?は、その人の理解力や解釈力で変わるのです。(または、その発言者のバックグラウンドや、立ち位置をどれだけ知っているかですね)
2 日大アメフト部の事例。
この話を日大アメフト部に移します。
日大アメフト部の選手が危険なタックルに及ぶ解釈をして、行動に移したということは、普段からアメフト部にそういう雰囲気や文化や体質があったということを意味します。
オオカミ少年の話もありますが、普段からウソをついている人が、珍しく本当のことを言っても、「また、ウソでしょ」と解釈されてしまいます。
普段からの言動や雰囲気、または集団であれば、文化や体質が、人々への解釈に影響を与えているのです。
日大アメフト部には、そういう体質があったということを意味しており、「そういう意図はなかった」といくら弁明しても、選手がそう解釈してしまう文化や体質があったという事実は残るのです。
仮に、普段から日大アメフト部が「反則だけは決してしてはいけない」と繰り返し伝えていたら、選手も危険行為に及んでいなかったでしょう。(というより、選手やコーチが普段から反則はいけないと言っていたとしても、意図的に「今回は潰せ」と指示していた可能性は残ります)
ともかく、普段からの言動や体質が、解釈を間違えさせるのです。
そういう意味からも、日大の弁明は弁明になっていません。
そういう解釈をさせる、普段からの行いが悪いとなるからです。
3 その人の普段からの行いやバッグラウンドで人々は解釈を変える。
話を突然、変えます。
その人の普段からの行いやバックグラウンド次第で、人々は容易にその人への解釈を変えます。
Sという人が「普段からウソをつく常習犯」ということを知っていた場合と、知らなかった場合、Sという人への見方そのものが変わります。
「嘘つき常習犯」ということを知っていた場合、Sの証言も「またウソだろ」と疑いから入ります。
対して、「嘘つき常習犯」ということを知らなかった場合、信じてしまいます。
Sという人への人間性やバックグラウンドへの深い知識があるかないかで、かなり、Sの発言や行動への解釈や印象は変わります。
そう考えると「普段からの行いはかなり大事」と言えます。
普段から信用に値する善行が9割の場合、些細な嘘や過ちなら「珍しいね」と許してもらえる可能性があります。
しかし、人間は不合理であり、普段の悪行9割の人が1割の善行をしただけで、褒めることがあります。
普段からの信用の積み重ねは大事ですが、普段9割の善行の人でも、たった1回の過ち(重大度にもよる)で信用失墜もありえます。
普段9割の悪行の人はもっと責められるべきですし、社会に常習的に日常的に害を与えているわけであり、こういう人こそ本当はかなりきつく責められるべきです。
それなのに、こういう人ほど珍しい数回の善行で「見直した!」とか、褒められる場合があります。
人間は割合で判断・認知していません。
始まりと終わりが強く印象が残るというように、印象度合いにも強弱を感じる場面があるのです。
そう考えると、普段からの信用積み重ねは重要視すべきですが、そういう善行9割の人ほど、1割の悪行に余計に注意しないといけないかもしれません。(人間って割合を正しく認知していないのです)
普段からちゃらんぽらんの人ほど得をするという、人間の不合理な面です。(メディアは善行・悪行の割合もきちんと目を向けるべきです。普段の善行9割の人の、1割の些細な悪行はスルーしてあげてもいいのでは?と)
4 日大アメフト部は僕とは別の論点から批判されている。
日大アメフト部は、僕の考察からの批判は起きていないようです。
解釈の違いの論点は難しいからでしょう。(どう解釈するかは人次第なので)
しかし、日大の対応が後手後手に回り、「保身を図っていた」と捉えられてもおかしくない行動の繰り返しをしており、今はその点が叩かれています。
以下の記事では、日大と内田監督がついた嘘について書かれています。
「勇気ある会見で判明した日大と内田監督の4つの許せない嘘と矛盾点」というタイトル記事です。(消されたようです)
と書いていたら、解釈の面でも批判報道があったようです。
「選手のポジョション的にはありえないはず?日大の説明に矛盾を指摘」というタイトル記事です。
http://news.livedoor.com/article/detail/14755421/
「解釈は人によって異なる」というある意味、責められにくい弁明を日大は図りましたが、「それすらも間違っている」と指摘されてしまい、もはや全てが悪い方向に向かっていると言えます。
僕は普段から、TVニュースなどの時事ネタにあまり振り回されないようにしており、今回も最初は無関心だったのですが、朝日新聞の解釈についての主張を読んで、これは一言言っておいた方がいいなと思い、記事化しました。
対応を誤ると、本来なら無関心な層にまで、注目されるようになります。
つまり、上手く対応すればそこまで炎上せず、沈静化するのに、保身を図り、後手後手に回り対応を誤ると、無関心層にまで飛び火し、さらに炎上する流れになるのです。(まぁ僕は本来TVニュース無関心層派なので、よほどの発展がない限り、この件はもういいです)
ともかく、この一件で日大の評判は地に落ちたことでしょう。
日大は不祥事が多く、受験者はどう思っているのでしょうかね?(あとは企業の採用者)
解釈力を鍛えるにはまず知覚から鍛える必要があります。
そのための絶好の本が以下です。
隠れた名著なので、ぜひ興味がある人は読んでみて下さい。
時事ネタに意見を物申すためには、自分で考える力が必要です。
そのために適した本が以下の人気ブロガーちきりんが書いた2冊です。
「自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ」
思考力が磨かれますので、ぜひ手にとってみてください。
ではこの辺で。(3577文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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